はまっていく脳

人が何かに依存するとき、脳ではどんなことが起きているのか?
季刊『Be!』増刊号No.16「依存症って何?」のコラムより、抜粋・一部改編してお届けします。

1.脳が酔う

アルコールの「酔い」も、ドラッグの快感も、それを感じているのは「脳」です。
気分を変化させる薬物はどんなものでも、「脳に効いている」のです。

脳は身体の臓器の中でも、とりわけ大事な場所。
異物が入りこまないよう、脳に至る血管には「脳―血液関門」と呼ばれる脂肪の厚い膜があります。
けれど、アルコールは脂肪に溶けるため、この膜をすりぬけて脳に入り込みます。
タバコに含まれるニコチンも、危険ドラッグも、安定剤などの処方薬も同じ。

こうした薬物はいずれも、自然に関門を通過するか、通過可能になるよう化学的に加工されているのです。

脳に侵入した薬物は、神経細胞の情報伝達に影響を与えます。

たとえば覚せい剤は、神経伝達物質のドーパミン・ノルアドレナリン・セロトニンのどれにでもなりすまして、神経系を興奮させます。これが繰り返されると、脳本来の伝達物質の枯渇が起こり、覚せい剤を使用していないときの落ち込みがひどくなります。
アヘン系の薬物は脳に入ると、恍惚感をもたらすエンドルフィンの偽物として働きます。
ニコチンは、覚醒や学習に関わるアセチルコリンの偽物として作用します。
アルコールはもう少し複雑なのですが、その作用のひとつは、神経の興奮を抑える役目をもつギャバ神経の働きを弱めること。結果として抑制を取り払って酔いを生じさせます。

2.はまる回路

ギャンブルのスリルと興奮。
拒食を続けたときのハイな躍動感。
過食による心のなぐさめ。
リストカットで自分が浄化されたような感覚。
……いずれも、感じているのは「脳」です。

こうした行動が習慣化されるとともに、薬物を使用したのと同じように大脳辺縁系をめぐるドーパミンのネットワークが暴走し、「はまる回路」ができていきます。

回路がフル稼動した状態が脳にとって「ふつう」になると、そうでない状態は退屈で色あせて感じられたり、自分が保てないように思えたり、あるいはひどい苦痛をともなうものになっていきます。

そのために特定の行動を繰り返し、徐々にエスカレートするのです。同時に、ほかのことへの興味を失い、生活の幅が狭まっていきます。

3.傷ついた脳は修復可能?

アルコール依存症者や、さまざまな精神的苦痛にさらされた人の脳では、「海馬」の萎縮や損傷がみられることが報告されています。
海馬は大脳辺縁系にあり、情動をつかさどる周辺の部位と連動しつつ、前頭葉がキャッチした情報の中から記憶を創り出しています。海馬やその周辺の損傷は、記憶の障害や抑うつ傾向にも関わっているとみられます。

なぜ海馬の損傷が起きたのでしょう?
ひとつには、ストレスに対抗して分泌されるホルモンであるコルチゾルが、あまりに多量になって神経細胞を傷つけたためではないかと言われます。
その背景として、子ども時代や思春期までの過酷な体験や、その後の事件・事故・災害などによるトラウマが考えられます。
トラウマで傷ついた脳は、なにかに依存するリスクが高くなる。さらに、アルコールをはじめとした依存性の薬物は、脳の神経細胞に直接的なダメージを与える。
……悪循環ではありませんか。

これまで長いこと、脳の神経細胞は他の臓器細胞とは違って「一度ダメになると再生不能」だと信じられてきました。
けれど1990年代から、それをくつがえす知見が次々発表されています。
新しい神経細胞を生む幹細胞の存在。
ネットワークの修復を行なうたんぱく質。
アルコール依存症の人が断酒すると、海馬の神経細胞が増加したとの研究結果。
トラウマ関連疾患の人への認知行動療法で、前頭前野の容積増加がみられたという報告。
……傷ついた脳は、よみがえるのです。

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