「恋愛」と「恋愛依存症」はどう違う?

水澤都加佐です。
いわゆる恋愛と、恋愛依存症との違いを知ることは、依存(アディクション)とは何か?――という根本につながります。
ご一緒に考えてみましょう。

即効性を求めてエスカレート

恋愛は、自立した人間どうしの対等な関係です。
一方、恋愛依存のベースには自己否定感や共依存があり、むなしさや欠落感を相手で埋めようとしているのです。だから相手との一体化を求めます。

相手を失ったとき何が起こるかを考えてみると、この違いがはっきりします。

恋愛の相手と別れるとき、誰でも痛みを感じます。けれども失恋の痛みというのは、大人としての自分がなんとか扱えるぐらいの喪失です。
これを私流に図にしてみると、こんなふうになります。
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恋愛依存の場合はどうでしょう。
相手と一体化する幻想を抱いていたのですから、その関係がこわれたとき、失ったものはあまりに大きいのです。

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こんな喪失を抱えたままでは、人は生きられません。
ぽっかり開いた穴を一刻も早く埋めようと、自分を満たしてくれる次の相手を探し求めたり、アルコールや薬物に依存したり、仕事やギャンブルやショッピングに夢中になったりするのです。
本当にほしいものならば、時間をかけてゆっくりと……ということもありますが、心の穴を満たすためには、それでは間に合いません。だから、極端で激しい行動をとることになります。

何かで自分を満たそうとし、即効性を求め、徐々にエスカレートする。
これがアディクションの本質です。

三日月のような自分

実のところ、相手を失ったから心に穴が開いたのではないのです。
この細い三日月は、子ども時代に満たされなかった穴をそのまま抱えた自分の姿。
ありのままの私を受け入れてくれる場所が見つからない。
自分で自分を受け入れられない。
……そんな心の空洞を何かで必死に埋めながら、生きてきたのです。

ある女性は、つきあっている相手と一日中、スマホで連絡をとり続けていました。
今、何してる? 仕事、何時まで? 今日は会えないの? 明日なら会える? まだ起きてる?
彼女はこの相手と別れたあと、自傷行為と過食が始まりました。
こんな自分は嫌だと思いながら、止められない。
何かに、あるいは誰かに依存していないと、むなしくて、心が痛くて、たまらないのです。

「この人なら自分を救ってくれるはず」という幻想……それこそが恋愛依存です。
恋愛依存は、恋人だけでなく、夫婦・親子関係や、友人関係、治療者との関係でも起こります。
たとえば、母親が成人した息子にべったり依存しつつ、一方で「男なんて汚い」というメッセージを子どもに植えこんでいたとします。こうした関係も、まさに恋愛依存にあてはまります。
親が自分のむなしさを子どもで埋めようとし、報われなかった人生への嘆きを、子どもに吸いとってもらっているからです。

大切なことは、「この三日月のような自分を、どうやって丸い形に育てていくか」です。
それには、自分の奥深くにある痛み・悲しみ・怒りを解放する作業が欠かせません。

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